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川の流れのままに 逆らわず ゆったりと~。

言葉というのは 不思議なもので、そのときの心を照らすように す~っと鍵を開けて入ってくることがある。
《あ~、この言葉に出会いたかったんだ?!》と 必然的偶然にドキツとする瞬間。

それは まるで、姿は見えないけれども、どこかで誰かが見守っていてくれているよう。
小さな神様が、そっと私の手をひいて、「ほら、ここにあるよ。ここだよ。こっちだよ。」と、
光の粒をキラキラさせながら 手を振ってくれているのだろう。
そして そのキラキラに心のアンテナが呼応して、無意識な部分で 見えない糸をたどっているのかもしれない。
見えない力に導かれる感覚。フシギ、ふしぎ。きっと それは、見えない魔法。

以前、星野富弘さんの詩画集で、救われた言葉がある。
”~川に流されてしまったとき、元の岸に戻ろうとするから苦しいのでしょう。流れを無視して逆らうから 辛いのでしょう。
元の岸に戻れなくてもいいじゃないですか。
あわてず、あせらず、あがらわずに、川の流れに身を委ねてみてごらんなさい。
恐れることはありません。
なるがままに 成すがままに、川の流れに 気持ちをゆったり添わせてみるのもいいものです。
しかるべくして見つかるはずです。心の目を開けてみたならば おのずと見えてくるものです。
新たな岸が、そこに待っていてくれるはずです。~” 

このようなことが書いてあったと思います。
当時 私は、闘病真っ只中で、思うように病状が回復せず、ストレスと葛藤の塊だった。
家族や友達の「頑張って!」の励ましの言葉が、あまりにも浴びるように言われ続けたので、感謝する反面、心のバランスがくずれて、どんどん どんどん重くなって気持ちが押しつぶされそうだった。
《期待にこたえなきゃ!》 と真面目な性格なこともあって、精神的に頑張ろうとすればするほど、糸が絡んで がんじがらめになった。身体には 見事に裏切られ、”病は気から”と言いますが、どんなに前向きであろうとしても 体の中は嵐のように暴れまくり、辛い時期だった。

だから、星野さんの言葉に出会ったとき、固くガチガチだった心が すーっと解けてゆくのを感じた。涙がすっーと頬を伝った。
《しんどいよ、痛いよ、辛いよ、苦しいよ、逃げたいよおーーー》色んな投げやりな気持ちが、言葉が心の奥へ浸透するにつれて、しゅるしゅるとしぼんで薄らいでいった。
《な~んだ。頑張らなくていいんだ。きっとだいじょうぶ。私、なんとかなるんだ。》
自然と気持ちが楽になり、心が癒され、やわらかくなってゆくのを感じた。

身体というのは、なかなか手ごわく頼もしい。
病気の種類にもよるが、どう精神的に前向きに頑張ろうと、暴れるときは どう抵抗しようと、容赦することなく あばれてしまう。もちろん、薬や点滴や、栄養剤などの助けによって治癒できたり、緩和することはできる。
だから《なんとかして治すぞ!》という強い信念は、プレッシャーにもなるし、同時に力にもなる!と思う。
自分に厳しすぎると、心が疲れてしまうし、ほどよいプレッシャーは 逆に大きな底力をうむ。
病気を受けとめて、しっかりと向き合うことは大事だが、あまりにも 病気のことばっかりで頭をうめてしまうと、今度は ココロがきゅうきゅうと悲鳴を上げ、息苦しくなってしまう。
それに、病気のときは、心の振り子が大きいので、いい意味でも悪い意味でも 喜怒哀楽が、激しくなりがちだ。
それでも、どこかで、客観的な自分がいて、何とか自分を助けたかった。
私は、いい言葉には貪欲で、むさぼるように読書をしていた。 
”天は 自ら助けるものを 助ける”という言葉に触れたのもこの時期だろう。
もう、10年以上も前の話である。

これも不思議なめぐり合わせだろう。
最近親しくなった友人と色んな話をしているうちに、当時の複雑な思いが蘇り、《あの時の気持ちを忘れてはいけない》 と思った。
完治できたわけではないが、病気に色々なことを教えられ 鍛えられながら、少なくとも精神面では たくましくなってきた。
病気とそれなりに共存して、私なりの新たな岸にたどりつくことができた。
今、私のまわりには、友達との大切な時間があり、絵本があり、ジャズがあり、etc...小さな幸せを感じることができる。
生かされていることにお蔭様 と心から思える。
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決して、一人の力で見つけたのではなく、多くの人達との触れ合いや思いやりを通して、見えてきた岸=道である。
こうして、現在、《絵本創作をやっていきたい!》と 静かなる闘志と情熱を燃やしているのも、
逆境という荒波で、色んな見えない大切なものを この手のひらに集めてきたからかもしれない。
人生は だからおもしろい。

by inner-vision916 | 2005-09-27 16:31 | 哲学